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2013-06-14 [長年日記]
_ 隣のF、朝出社してくるなり俺の日記見てんじゃねえよwww。もう仕事はじまってんだろうが。
_ AStudioという番組を見てる。たまたま真木よう子が出てるのだが、白い服を着てるせいなのだろうか、胸が小さい。こんなの俺の真木よう子じゃない。まあどうせ俺のじゃないんだが。真木よう子と木村カエラは相思相愛らしい。そこには萌える。今わかった。やはり白い服着てて陰影が少ないから小さく見えるだけだ。やはり俺の真木よう子だった。まあどうせ俺のじゃないんだがな。写真集欲しいが高価なものとなっている。子供のころはジブリ作品の演技のものまねをやってストレス発散してたとのこと。真木よう子って、リアル北島マヤだったんだな。なんて恐ろしい子…。それでひとつ回文を思い出した:「なんてしつけ良い子良いケツしてんな」
_ 今週は拘束性の強い仕事が多くて本当に疲れてしまったが、それなりにやり遂げた感もあり週末ゆっくりできそうな予感。
_ 昨晩寝しなに読んだ「エピクロスの友情論」という論文はちょっと寝しなに読むにはキツかった。エピクロス自身は多くの著作を物したということだったと思うが、多くは散逸してしまって今残されている著作は非常に少ない。そこで、エピクロスの思想がどのようなものであったかを探求するためには、その少ない文章の細やかな語の用法を化学分析のように慎重に読み解いていくのである。それを志向するあまり本質を見誤るリスクと戦いながら痩せ尾根をたどるかのように進んでいく彼ら研究者は勇気がある。結論に書いてあったことだけはなんとか理解したように思う。エピクロスは友情を価値あるものとみなしていたが、その価値は、友情のもたらす利己的な快楽によって説明することが可能であり、彼が利他的なことに価値を置いていたと仮定する必然性はない、ということだった。まあどう思っていたかはともかく友情に重きを置いて友のためにわが身を供するという行為自体の価値は揺るぐことはないだろうと思う。金を稼ぐために作られた作品であることと文学的・芸術的価値のあることとが矛盾しないのと同様だ。だが、それらが共存している創り手その人自身は、きわめて矛盾に満ちた存在であるということもできるだろう。そして多くの面を内包する人が魅力的な存在であることは言うまでも無い。
どこみてんのよ!
胸だよ胸…おやあんたの胸はなんか足りないな。なんかというか量が足りない。なんという見え透いた成りすましなんだ。友情のために言っとくが、ブラつけるときはちゃんと脇から中心に向かってお肉を手繰り寄せてつけた方がいいぞ。
なにゆうとんじゃ!! <br>
君はもう四十路にもなろうというのにまだ正しいブラのつけ方を知らないのか。
お仕事は これを見ずには はじまらず