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2006-07-02 [長年日記]
_ 学習センターで学習。
午後13:00-16:30の間センターで4コマほど聴講。試験の持込の可不可が張り出されていた。『日本列島の地球科学』は教材とノート可。ノート充実させねば。
その後いろんないきさつで朝まで飲む。ひさびさだなあ、こういう飲み方…翌日休みで良かった。
2006-07-03 [長年日記]
_ お酒を飲んだ翌朝。
お酒よりも睡眠不足が解消されていないと言う感じで11:50頃起床。
アマゾンから2冊の洋書が届いた。どっちも統計学関連の本。分割表とひずんだ楕円分布という結構マニアックな分野。衝動買い。英文を読む能力は年々低下しているというのに。
_ 新羽に。
新羽へはバスが便利。ヨネヤマプランテーションに行って、カモミールとローレルとマロウを買ってきた。カモミールは春に植えたのは根腐れを起してしまったのでリトライ。月曜のヨネヤマさんは人が少ない。月代わりでデザインが変わると思しい猫のイラストのマグを見つけ、7月のやつを入手。
ヨネヤマさんのそばには西方寺という古刹がある。ちょっと立ち寄ってみたが、本堂は改修中。
帰宅してモロモロ植える。パーライトを土に混ぜて水はけの改善を試みた。山椒を食い荒らしていたアゲハの幼虫はいつの間にか姿が見えない。鳥に食われたのか蛹になったのか隣りの奥さんが気を利かせて駆除してくれたのか。山椒はけなげに若い芽を増やし始めた。キャッツミントもブッドレアも花をつけている。ほったらかしのリアトリスの芽も色づいてきた。
幼虫には山椒、成虫にはブッドレア。うちの猫の額はアゲハの楽園。
2006-07-04 [長年日記]
_ [コンピュータ] あきらめるための仕事
あきらめるための仕事。これ以上実りが無いことを確認して新しいことに進むのがその目的なんだけど、これがどこまでやったらいいかという感じで。まあそれが十分吟味できると言うことはまだ余裕があるということなんだけど。
というわけで、いろいろなケースを調べるために、久々にコーディングをする。Rのプログラミング。わからないことだらけだったけど3日ほどかけて作る。Wikiを利用して自分向けのTipsを作りながらやっているので時間掛かる。Wikiの記事も少しずつ充実してきて、仕事のカラーが変わらなければこれは自分とのコラボツールとしてこれからも威力を発揮するだろうと。それにしても、コードを書く時間のほうがそれを使う時間より長いというマーフィーの法則が今回も当てはまりそう。でもRのいいところはグラフの表現が簡単に組めるところだな。
2006-07-06 [長年日記]
_ Field Messe
10年使い続けた腕時計が壊れた。デジタルとアナログと両方付いてるヤツだけど、液晶がめちゃめちゃになってその後すぐアナログが止まった。電池切れかもしれない。
というわけで、高度計と気圧計と温度計がついてるフィールド用のヤツを新調。しかしこれ、アラームがついてないな。これでみるとわたしの家は標高132mとなっている。ふうん。。。
_ mimetexインストール。 [ カテゴリ未分類 ]
Wikiを使って自分とのコラボレーションをしてると以前書いたが、数式が表現しにくかったので、mimtexというのを使うことにした。これはcgiで、Wikiに限らずウェブページから呼び出してTeXの文法で書いた式のイメージを吐き出させると言うもの。ソースのコンパイルはうまく行かなかったようなので、コンパイル済みのものをサーバーにあげてみたら、結構簡単に数式が出た。
http://***/cgi-bin/mimetex.cgi?\int\frac{1}{1+x^2}dx
と打ち込めば
_ と返ってくるようになった。これはいいな!htmlではどうしても書けない式があるもんね。
2006-07-10 [長年日記]
_ そう言えば今朝方悪い夢を見た。
同じ形の家が隣り合わせになっていて、わたしの家は向って左側にあった。右側の家には母方の親戚が泊まりに来ていたのだが、何故か外から玄関が開かなくなったと言う。二つの家は中で通じている。わたしはわたしの家に入って中で左側の家に入り込んで内側から様子を見る。
左側の家の玄関は縦長で60cmくらいの幅の三つの部分に分かれており、そのうち右側の二箇所は石で閉ざされ、左側の一箇所には未開の種族のあがめる木製の神像らしきものがすっぽりと収まっている。近づこうとすると「そこに行っては駄目」と後ろから警告するものがあった。それはわたしの母だった。この左側の家は、どうやら未開の人の悪霊に祟られているらしい。玄関は異界との出入り口だが、神像は外からの侵入者を防ぐと言うよりも、この家の中にあるものを外に出さないための仕掛けであるようだった。この家から出るルートは、さらに左の奥に向って一度二階に抜け、そこから二つの家の中間にある縦横1mほどの何も無い間隙をシュートのように降りて外に抜けることだった。わたしは母を連れて左の家の二階に出ると、そこには生前の未開の人がいて、若い頃に蟷螂の研究をしていたこと、そしてその成果を文明人の同僚に盗まれて自殺し、文明人に祟るようになったのだということをわたしに告げた。悪霊はまがまがしい存在なのだが、そのことを告げたときの未開の人は悲しげだがとても落ち着いて見え、深い同情を感じた。わたしと母は家の中間のシュートを滑り降りる。おぞましい肉塊の中を通って無事に外へ出た。
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思い返すと幼少の頃に、二軒がついになった家に住んでいたことがある。若い父が単身赴任していて母と二人暮しをしていた頃、あるいはその少し後のことで、両親の始めての子供であったわたしは、無意識の中に父とはなれて暮らす母のいろいろなコンプレクスを間接的に体験していたのかもしれない。昔の家だから屋根裏があってネズミも住んでいたらしく、これがあるとき知らぬ間に屋根裏で死んで、死体に湧いた蛆が映画サスペリアの如く屋根裏から落ちてきたことがあったそうだ。離乳したばかりのわたしがあちこちに散らかしたご飯粒がその蛆虫を想起させてかなり精神的に参ったのだ、と後日母から聞いた。
ユングのイニシャルドリームは地下の大王、一つ目の人食いのファリックシンボルだったという。わたしのイニシャルドリームが何だったかはわからないが、かなり古い時代の夢として覚えているのは、二部形式の夢だ。第一部はぬいぐるみのようなゾウさんやキリンさんやライオンさんに囲まれて、みんなで協力して1mに満たない小さな宇宙ステーションを作る夢だった。宇宙ステーションというのだから保育園には行っていた頃だろうと思う。この絵本のようなとてつもなく楽しい世界は急に終わってしまい、一人で塀に沿った土の道を歩いている第二部に変わる。一本道なのだが、行く先の道端に、乞食とも幼児ともつかないブヨブヨした感じの一人の人が坐っている。わたしはその人の前を通ることが恐ろしい。何事もなく通り過ぎられたら、と祈るようにその人の前を通ると、恐れていた通りにその人が声を発する。意味を成さない言葉だ。今思えばそれは妖怪が発するとされる「うわん」とか「ももんがあ」とかいった声と同じものだったのだろう。その声を聞いてしまった絶望で、わたしも叫び声をあげる。成人した頃に漱石の「夢十夜」と秋山さと子の本を呼んで、どうやら道端の人はわたしのシャドウであったのだろうと納得した。シャドウとのつきあいは古い。この人でなしはあきらかにわたしの分身だ。深く関わることはとてつもなく恐ろしいが、それなのにどうにも懐かしい人なので、どこかの道端に投げ捨てることはできないし、無視して通り過ぎてしまうこともできない。
2006-07-11 [長年日記]
_ [漫画・アニメ] 『N・H・Kにようこそ!』(夜アニメ)
はじまった。リアルタイムで書いてます。
オープニングは内容にそぐわないポップな(死語か?)感じでいい。歌はサヴァイブのエンディングの人かな。
しかしこの番組、N・H・Kの陰謀とか連呼してる。N・H・K=日本ひきこもり協会なんだが、ちょっとまずいかもなあ。原作のほうはNHKからクレーム来たりしてないのかしら?
岬ちゃん、漫画よりも野暮ったい感じなのは演出かな?
エンディング、「踊る赤ちゃん人間」うーむ、、、
今後もチェックだ!
_ [漫画・アニメ] 『うつうつひでお日記』読了|『ガラスの艦隊』第15話「威風のごとく…」
吾妻ひでおさんの『失踪日記』受賞前の2年間ほどの漫画日記。ホームレスとアル中の後の抑鬱と執筆と読書三昧の日々に女子高生を織り交ぜてつづる。著者が言う如くちょっと読みにくい。でも面白かった。吾妻さんの読書量、半端じゃない。
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『ガラスの艦隊』夜アニメ。近頃のアニメの中では一番楽しみにしている。明日はオープニングのCD発売日か。
ヴェッティ皇帝、力に任せてやりまくりだ。先週はとらわれのミシェルが一服盛られてやられちゃったりなんかして。裸にシーツを撒きつけて逃げ帰るというアニメにあるまじきシーンがあったりして衝撃を受ける。毎回のサブタイトル「○○のごとく…」というのがこの作品の雰囲気を一番良くあらわしていると思う。
まあなんというか…DVD、買いだな。
2006-07-12 [長年日記]
_ [音楽] "マキシム"のCD5つ届く。|フジファブリックのライブDVD
某オークションサイトで1枚1000-1500で落札。マキシムで検索してもこの人が引っかかることはめったに無いが、フランスのMaxime Le Forestierという歌手。日本では30年くらい前だろうか、「感情教育」という曲がTVのテーマソングに使われて名を知られている程度。ジョルジュ・ムスタキとほぼ同時期に日本では知られるようになった人だと思う。残念ながら落札できた5つのCDに「感情教育」は入っていないが、"Dans ces histoires..."というアルバムは大学の頃にフランス語の勉強のつもりでLPを買ったものだった。こんなにたってからCDでよい音質で聞けると言うのは嬉しいことだ。難解な歌詞に口ずさみやすいメロディ、と日本版LPのライナーノートには書かれていたように記憶している。「3人のシレーヌと鏡」と名づけられた曲が気に入っている。
嬉しいな。聞いたことのないマキシムのアルバムがあと4つ、手元にある。
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フジファブリックの日比谷野外音楽堂でのライブのDVDが今日発売だったので購入してしまう。志村君の曲はキーの高いところがあってカラオケで歌うのはなかなか大変なんだが、DVD見ると志村君も高いところは頑張って声出してるようなので、なんだか安心。一緒になって「モノノケハカランダ」(モノノケとハカランダの間で切るのが正しいようである)口ずさむ、というか、叫ぶ。
モォーモノーノケーノケーノケー
2006-07-13 [長年日記]
_ 東海紀行
東海方面に出張。四日市に宿を取る。20世紀の終わりに(これはヒカシューの曲だな)東海道を行脚した時宿を取った辺りを訪ねてみようとしたが、わからない。良さげな飲み屋探すも見つからず、宿の料理屋でエリアーデ読みつつ、軽く。
2006-07-15 [長年日記]
_ なんとなくまったり。
アニメ『彩雲国物語』なんか見ている。
「わたしを寝台に連れ込もうなど100年早い」
男が男を誘うようなシチュエーションが、この手のアニメでは至極当然のことになってしまっている。これもアニメ、というかBLのファンタジーのひとつ。
ファンタジーには他にも登場人物、極少数除いて全員女(逆もあるかも知れないが見たこと無い)
とか、食物連鎖を無視した異種間の友情とかいろいろあるんだろうけど、なんかこれ以上思いつかない。
_ 試験近づいてる
学習センターで聴講。混んでた。席7人待ちだったが、割とすぐに席が開いた。
3コマ聴講したら6時近くなったので帰る。あと4コマ残ってるなあ。
ユング心理学、コラージュ療法。先生は偶然が必然に,という言葉を何度か口にする。共時性を意識しているのだろうと思う。共時性こそはユングが後世に残した最大の課題で、これこそが超常現象と呼ばれるさまざまを本当に科学的に(ユングは自らの方法を"科学"であると考えていた)取り扱う鍵だと思う。だから後世の人間の一人であるわたしも、この課題を無視することができない。まあそんな大それた妄想はともかく。
コラージュと易の卦を立てることは同じなのだと気づいた。易者は筮竹を混ぜ、分け、選ぶ。同じようなプロセスがコラージュを作る場合にも行なわれる。優れた易者は、筮竹を扱う作業や卦を立ててそれを読む行為の中に豊かなイメージを抱くのだろう(64通りに変爻を加えたバリエーションはさしあたり人類にとっては豊かなイメージを託することができるほどに「十分に多い」と言えるだろう)。易者はコラージュボックスの代わりに筮竹と易経を使うことができるというわけだ。
人間は内面を様々なものに仮託することができる。偶然にあらわれた現象に内面を投影することは人間の特殊能力の一つだ。寄せ返す波にも、雲間に見え隠れる月の光にも、庭に植えた草木の生育にも、ラーメンのスープの表面に浮いた油滴の分布にも、茶の湯にも筆運びにも、複雑な特性を示す石の反射スペクトルにも、人は自らの理解しがたい心の動きを映して見ることができるのだ。しかしその投影される側のモノたちには、本来そのような意図は有り得無く、ただ事実としてそこに在っただけだ。それでも心の内面を投影する側のわたしたちは、その対象を「因果律には無関係に」自由に選ぶことができる。丁度、既存の雑誌のさまざまなページから要素を選び、切り取り、心の奥底の動きを眼前に浮かび上がらせるために集め、糊で貼り付けるのと同じように、現象の因果律とは無関係に複数の現象を意識する。
もしもこういったことがシンクロニシティと呼ばれる事柄に関係しているなら、そのことはまた"科学的に"証明されなくてはならないだろう。その手始めとして、ラインの実験結果を再吟味することには意義があるかも知れない。ここに統計的推測の問題が絡んでくるので、15000円払って買ったラオの教科書も無駄に高くは無かった、ということになるのかもしれない。まあこれもまた大それた妄想に過ぎないのかも知れない。
2006-07-17 [長年日記]
_ [読書][漫画・アニメ][音楽] 神保町
連休三日目は神保町。ここに来ると何かが得られそう。
得たもの:エレック復刻版CD、ピピ&コット「4人はハーモニー」、古井戸「古井戸の世界」、いがらしみきお『Sink』1・2巻、吾妻ひでお『定本ときめきアリス』、諸星大二郎『マッドメン』1・2巻、植芝理一『夢使い』3・4巻。
_ ピピ&コット:以前エレック復刻版「抱腹絶倒」で板さんの奏でる「野菜が食べたい」に感銘を受けて買ってみたが、いかにものフォーク。ハーモニーそれほど綺麗じゃない。丸山圭子、エロい。
_ 古井戸:これは何度か聞き返してみるべきものではないかと。木魚の使い方が秀逸。泉谷しげるが椅子叩きで参加しているらしいが良くわからず。
_ Sink:この作品のときに相当の病を患っていたらしい。日野日出志の『死肉の男』を読んだときも何か凄まじさを感じたが、こういう状況のときに鬼気迫る作品を描いてしまうというのが何というか作家の本能のような。わたしはついギャグもホラーも同じ感覚で描いてるのではないかと思ってしまってさらに恐ろしく思えた。
_ ときめきアリス:ビッグマイナー吾妻ひでおが再評価されている。いいことじゃないか。ちなみにリトルメジャーはいしかわじゅんだったと記憶している。この命名は高信太郎だったかな。コーシンの「大冗談」とか、高校のときに好きだった。周りにはそんなの読んでるやつほとんどいなかったのが今でも自慢だ。
_ マッドメン:筑摩文庫版で持ってるはずなのだがどこかに埋もれている。読んだことの無い短編が収録されていたのも手伝って、買った。やはりすごいなあ。やはり『日本神話の起源』読むことにします。
_ 夢使い:ディスコミュニケーション描いてたときからちょっと絵柄に惹かれるものがあったのだけど、読みにくそうで敬遠していた。つい先日終了したがアニメ化されていたのを一度見てなかなか面白いと思ったので読み始めた。作者の趣味にはついていけない。読み手を選んでるな、でも負けないぞ。(そう思ったときにはすでに作者の思うツボだ)
2006-07-18 [長年日記]
_ 創造の病、であれば。
なんだかいらいらする。自分の能力に全く自信が持てない。自分はどうしようとしているんだ。
「わたしは何処へ(行こうというのだろう)」と、気がつくとつぶやいている、なんてことが時々ある。
周囲の価値観と自分が大事にしていることが随分食い違っているように見える。そして、自分があまりにもこの世に何も残していないことや、自分が正しいと思っていることさえなんだかわからなくなってしまうことや、どんな些細なことでもそれを無視してしまえば自分を裏切ることになってしまうように思えてあちこちにつまづいてしまうこと。そんなことを随分思い返してしまっていた。思うとも無く。
_ 自分だけが気づいている(気づきかけている)世界の秘密。そんなものは無いのかもしれないし、もしあったにせよ本当は何の価値も無いのかもしれない。そんなものにとらまえられて実際的なことがらをついおろそかにしてしまう自分。
_ だが悩みや迷いを一刀のもとに切り捨てることはできない。
_ そうだ、ずっとそんなことはできなかったんだった。かつて決めてしまったではないか。わたしはわたしのシャドウをずっと抱きながら歩いていくのだ、と。それがどんなに重苦しく吐き気のする醜悪な存在であっても、決して路傍に捨て去ることはするまいと。
_ 心を病んできていることがわかる。こんなことが以前も何度かあった。今のわたしはその頃より経験をつんでいる。少なくとも自分の心がどのくらい疲弊していたり、その原因が何なのかを分析できるようにはなっているはずだ。さしあたりの妙薬は十分な睡眠をとることだろう。それができることは幸いなことと思わねばならない。
2006-07-19 [長年日記]
_ 傘に住まう蝸牛。
雨が続いている。
_ 濡れた傘を家の中に持ち込むことがためらわれて、玄関先においておいた。
出勤の途上、駅の改札に向う階段で傘をたたもうとしたら、丸めた傘の布を通して硬い丸いものの手触りを感じた。その瞬間にそれがなにであるのかがわかった。
_ 家の玄関には蝸牛が沢山いる。玄関に猫のトイレを置いているのだが、それはおからから再生した猫砂で、玄関先にも少しこぼれている。それを餌にするために、今のような時候には蝸牛が数匹玄関先に集まってくる。それを意識していなかった頃には随分玄関先で蝸牛を踏み潰した。
_ 傘にへばりついた蝸牛は2匹もいた。はがして道端に捨てる。傘の表面に蝸牛の足跡が汚らしいようにこびりついていた。
_ なんだかまだ蝸牛はいるみたいな気分だ。頭のてっぺんにへばりついて、わたしに蝸牛の論理に基づく指令を送っているのではないのか。わたしはその指令に従って行動しているに過ぎないのではないのか。
_ カタツムリもコウガイビルに負けずに恐ろしい存在だったのだ。
2006-07-20 [長年日記]
_ 喫茶アポロ無くなった。
8時間だったか、長時間かけて作る焼きプリンの美味かったダイアモンド地下街の喫茶アポロがいつのまにか無くなってしまっていた。そんなに足繁く通っていたわけでもないが、たまにしょうが焼き弁当でも食うか、的な気分のときに有隣堂で本買って腰を据えるのに丁度良かったので、惜しまれる。
2006-07-21 [長年日記]
_ 分数の計算
近頃の仕事は、ある工程能力のもとで製品を検査するときにそれが合格になったり不合格になったり、ほんとは不合格にしなきゃいけないのに合格しちゃったりその逆だったりする振る舞いをしらべてばかり。だから割合の計算をする必要がある。
現象を数式で表現すると一次式と一次式の比みたいのがでてくるんだが、それがパラメータに対して増加するのか減少するのか調べる必要が生じた。昔のわたしならすぐに二回くらい微分するのだが、そうするとなんだか、なぜ増加するのか減少するのかが直感的にわからなくなってしまいそうだったので、以下のような変形をやってみた:
_ $\frac{2+x}{1+x}=\frac{1}{1+x}+1$
_ 実際に扱った式はこんな感じの分数関数が二つ掛け合わされた形で、もっと山鳥の尾のしだり尾の長々しい式だったのだが、まあこれでも伝わるかなあと。
左辺の形で与えられた量がxとともに増加するか減少するかは、分母も増えるが分子も増えるからなんか良くわからない(オレが愚かだからわからないだけだ、というのが正しいのだろうが…)。右辺の形だと、xとともに変化するのは分数部分の分母だけだから、微分しなくてもxとともに減少していくことがわかる、と考えたわけだ。もっとエレガントな方法はあるのかもしれないけどわたしの頭ではこんな感じになった。
_ で、解法のエレガントさはともかく、多分こういう変形には名前がついていると思う。が、それがなんだかわからなくてモヤモヤしてるというのがこの記事の話題なのです。具体的な数字の場合に仮分数を帯分数に直す、という操作に対応するのだと思うけど。スミルノフでも読んだら出てくるかな?探す気力は今日はすでにないが、とりあえず仮分数とか帯分数とか言う言葉をまだ覚えていた自分を褒めてあげたい。
2006-07-24 [長年日記]
_ 明日試験だが
会社はすでに夏休み第一部に入っている。
なのに無為に過ごしてしまう。
試験勉強もやる気が出なかったが、前夜になってやっと通信問題を見直してみたりしている。
なんか先生の解答見てると、どうもわたしの頭では理解できないような問題が出てきそうな気がする。やはり高校のときにウマの合わなかった先生のことを思い出してしまって、気が進まない。この科目、なんだかあまり履修したという気もしなくて、なんか受験するのが嫌な気分だ。参考に読んだ火山災害の本は面白かったのだがなー。
2006-07-25 [長年日記]
_ とりあえず一つ終了。
近年まれに見る出来の悪さ。試験問題の日本語が全くなってないのでクラクラしてくる。落としたかもしれない。再履修になったら生まれて初めてだが、とりあえず15回の講義を全て聴講したことだけで良しとするか。
_ 金曜、ユングの試験。
2006-07-26 [長年日記]
_ [読書][統計学] サルツブルグ『統計学を拓いた異才たち』
試験勉強をせねばならないのに面白そうな本を買ってしまった。著者は統計学でドクターを取ったアメリカ人のようだ。ピアソンとフィッシャーの仲を取り持つ「親愛なるゴセット氏」(スチューデント)の話、ポアソン分布がポアソンの発見でなくガウス分布がガウスの発見でないといったことは名称由来の法則と呼ばれること、バイオメトリカという雑誌はピアソンやゴルトンによって作られ、ダーウィンの法則を平均値・標準偏差・スキューネス・カートシスという4つの母数の変化によって示そうとした動きと関連していたこと、のちに平均値と標準偏差の比が多くの場合一つの形の分布に従うこと、その一般性を示したのはブートストラップ法で著名なエフロンであること、フィッシャーは幼少の頃から目が悪く、そのためにかえって幾何学的センスを磨き、さまざまな証明に多次元幾何学を用いたこと、などなど。
2006-07-28 [長年日記]
_ とりあえず試験終了
問題開いてびっくりした。今までの択一式試験は全て10問だったのだが、なんかやたらと設問が多い。結局自信を持って回答できたのは半分くらいかな…とりあえず終了。
今回は試験勉強にあまり力を入れなかった。4年目となってちょっと「こんなもんか」と高をくくり始めたのだろうか。来期の募集も来ている。概ね決めたけど、やはり2教科よりも多くすることはできないな。
2006-07-29 [長年日記]
_ [奥州街道] 仙台逍遥・その1
この日、仙台に昼11時過ぎに到着。北への道を目指すのだが、2日ほど仙台市内観光。
ホテルに荷物を預けに行くとすでに部屋の用意ができていたのでチェックイン。別館で、フロントを経由せずに外出帰宅ができるのはなんだか自由な気分。
まずは東北大学の理学部のある山奥へタクシーで向かう。ここには東北大学総合博物館がある。化石や岩石や鯨の骨格標本などをじっくり見学する。地学の成績が悪かったのを思い出すが、嫌いなわけじゃないんだ。
青葉山をぶらぶら降りていき、広瀬川を渡って仙台駅より2キロほど北にある林子平の墓に詣で、香を手向ける。子平先生の設計した日時計が置かれていた。
夕食は駅前ぶらぶらするも良い店思い当たらず、ホテルの料理屋で取る。悪くも無いがさほど良くも無い。仙台に地方色は希薄だ、と思った。
2006-07-30 [長年日記]
_ [奥州街道] 仙台逍遥・その2
朝ホテルでいつものように仮面ライダーカブトを見た後、伊達家墓所の南側にある愛宕神社に向かう。愛宕神社はどこでも山の上にある。朝から汗だく。虚空菩薩にも詣で、そこから瑞鳳殿に向かう。ひっそりとした山懐に伊達家の墓所は抱かれるようにあった。人が沢山来ていた。資料館ではこの地の考古学的調査を説明するビデオが流れていた。伊達政宗の骨格は少々面長で現代人に近い骨格、とあった。
そこからさらに青葉城に向かう。城跡のふもとには仙台市博物館があるのでここもおとづれる。ポンペイ展をやっていたためか人が多い。食堂、10分ほど待ち。色々買い物してしまう。仙台でポンペイ展を見るとはなー。常設展も見るとだいぶ時間が押してきた。慌てて城址にむかうが、急ぎ足でぐるりと回って、そのままタクシーを捕まえて北に向かう。台原森林公園の北はずれにある、仙台文学館を訪れたのだった。入館締め切りぎりぎりに入って、ここも結構急いで見る。仙台にゆかりの文学者に高山樗牛がおり、彼がよく訪れた瞑想の松というのが、森林公園の南東の辺りにあると知ったので、日暮れ間近に森林公園を歩いて突っ切って向かう。変な所に入り込んで近所のおばあさんに場所を尋ねると、薬科大学のそばにあるという。100メートルほどそばまで近づいていながら薬科大のキャンパスを東側に出て、結局キャンパスの周りをまたぐるりと反対の方角に回ってやっと到着した。うーむ、しまった。しかし眺めよい。
さらに瞑想の松そばの東照宮を詣で、東照宮駅からまたホテルへ。
夜、弟の嫁の親戚と落ち合って生きの悪い刺身など食べながら与太話。
2006-07-31 [長年日記]
_ [奥州街道] 仙台逍遥・その3
今日の宿は仙台の北45km先の古川。博物館で買い求めた重たい書籍を自宅に送ってから出かける。JR駅は古川まで無い。が、バスは通っているようだった。9:00ころ、青葉神社に着く。祭神は武振彦命。これは伊達政宗公の神号というわけで。休んでいる間に2人ほど参拝者がきた。さらに神社近くの寺を幾つかたずね、支倉常長の墓と伝わる墓所でまた休憩。
昼少し前、仙台藩刑場跡に。二体の地蔵の慈悲深い表情が刑場の往時の凄惨さをかえって偲ばせる。北千住の刑場跡にも首切り地蔵があって、なにか凄まじいものを感じたことを思い出す。あれは日光・奥州道中の旅のかなり初めのほうだった。
刑場のそばの和食の店で昼食。かなり暑くなる。途中和風ファミレスでドリンクバーで休憩をとる。シャーベットがあったのでストローで一気に吸い込むと、今までに体験したことの無い痛みを鼻の奥に感じて、しばらく立ち直れなかった。カキ氷を急いで食べると痛くなる、アレなのだが、かつてなく強烈な痛みだった。
富谷の住宅街を通り、熊野神社を詣でると、境内には比較的立派な藤棚が。姫街道を旅した冬の日に熊野(ゆや)御前ゆかりの地で大きな藤棚を見たことを思い出す。
夕暮れ迫る頃、大和町。疲れと飲みすぎが祟って胃がむかむか。しかし吉岡の宿場に入って八幡神社の縁日でイカ焼きの匂いをかいでいるうちに食欲がわいてきた。宿場から4号線に出て、ラーメン屋で夕食をとる。古川にはつけなかった。バスに乗って古川駅へ向かう。
古川の夜は静かで寒かった。